広告業界、規制当局、ユーザーの「三者板挟み」が壮大な計画を頓挫させた内幕
長年にわたり、ウェブの世界は一つの矛盾を抱えてきました。ユーザーのプライバシー保護と、ウェブ広告モデルを支えるサードパーティクッキーの存在です。このジレンマを解決すべく、Googleは2019年に「プライバシーサンドボックス」という壮大なプロジェクトを始動させました。これは、クッキーに代わる新しい技術基盤を構築し、プライバシーと広告ビジネスを両立させるという、ウェブの未来そのものを再設計する試みでした。
しかし、数年にわたる開発と度重なる延期の末、衝撃的なニュースが飛び込んできました。Googleは、プライバシーサンドボックスの中核をなす主要技術の大半を廃止するという、突然の決定を下したのです。これは業界を震撼させた大きな方針転換であり、長年の計画が事実上白紙に戻ったことを意味します。本記事では、この決断から見えてくる5つの驚くべき事実を、一つずつ紐解いていきます。
      
  6年に及ぶ壮大な計画が、白紙に戻った
プライバシーサンドボックスは、単なる小規模な実験ではありませんでした。2019年8月に発表され、ウェブの広告インフラを根本から作り変えることを目指した、6年越しの巨大プロジェクトです。その目的は、ユーザーのプライバシーを保護しながら、広告主が効果的な広告配信を行える新しい仕組みをChromeブラウザに標準搭載することでした。
しかし今回の決定により、その中核技術が公式に廃止されることになりました。廃止対象となった主要なAPIは以下の10技術です。
• Attribution Reporting API
• IP Protection
• On-Device Personalization
• Private Aggregation
• Protected Audience
• Protected App Signals
• Related Website Sets
• SelectURL
• SDK Runtime
• Topics
これらには、ユーザーの興味関心に基づき広告を配信する『Topics API』、広告効果を測定する『Attribution Reporting API』、そして広告オークションをデバイス上で実行する『Protected Audience』など、広告配信の根幹をなす技術群が含まれていました。これほど大規模なプロジェクトが、度重なる延期の末に事実上撤回されたという事実は、この計画がいかに困難なものであったかを物語っています。
主役のはずだった“脱クッキー”は実現せず、クッキーは生き残った
この結末で最も逆説的なのは、プライバシーサンドボックスの最大の目標であった「Chromeにおけるサードパーティクッキーの完全な廃止」が、公式に断念されたことです。Googleは2024年に方針を転換し、今後もサードパーティクッキーのサポートを継続することを明らかにしました。
この決定は、Googleの発表を信じて「クッキーレス時代」への対応を何年もかけて準備してきた広告業界やウェブ開発者にとって、大きな驚きでした。プライバシー問題の“悪役”とされてきたクッキーが生き残り、それを代替するはずだった新技術が消えるという、予想外のシナリオとなったのです。
失敗の本当の理由:三者三様の利害が生んだ「板挟み」
Googleほどの巨大企業が失敗した根本原因は、技術的な困難さ以上に、解決不可能ともいえる政治的な「三すくみ」に陥ったことにあります。プロジェクトは「広告業界」「規制当局」「開発者・ユーザー」という三者の間で、複雑な利害対立の板挟みになったのです。
• 広告業界の反発 広告業界は、新技術が従来のクッキーほどのターゲティング精度を持たず、広告収益が減少することを懸念しました。さらに、ルールを作るのがGoogle自身であることから、「Googleが自社に有利なエコシステムを構築し、市場での独占をさらに強めるのではないか」という強い警戒感が広がり、業界全体の協力体制を築けませんでした。
• 規制当局の監視 これは単なる「監視」ではありませんでした。英国の競争・市場庁(CMA)をはじめとする各国の規制当局は、この独占への懸念を深刻に受け止め、プロジェクトに深く介入しました。CMAは2021年から調査を開始し、Googleに四半期ごとの進捗報告を義務付けるなど、数年間にわたる厳しい監視体制を敷きました。反競争的ではないことを証明するため、Googleは仕様の変更や開発の遅延を余儀なくされ、このプロセス自体が開発の大きなボトルネックとなりました。
• 開発者とユーザーの温度差 提案された新しいAPI群は非常に複雑で、多くの開発者にとっては実装のハードルが高すぎました。その結果、新技術の採用率は低迷。一方で、一般ユーザーからは「結局、形を変えただけでトラッキングされているのではないか」という懐疑的な見方が根強く、真にプライバシーを守る解決策としての信頼を得るには至りませんでした。
この三つ巴の膠着状態が、プロジェクトの全面的な見直しを余儀なくさせたのです。しかし、全てが無に帰したわけではありませんでした。
全てが消えたわけではない。一部の技術は今後もサポートされる
プライバシーサンドボックス計画の主要部分は廃止されましたが、全ての技術が消え去ったわけではありません。Googleは、一部の技術については今後もサポートを継続するとしています。これらの技術が生き残ったのは、Google中心の広告システムの一部ではなく、他のブラウザもサポートするような、ウェブプラットフォーム全体の純粋な改善と見なされ、広く採用が進んでいたためです。
生き残った主な技術は以下の通りです。
• CHIPS (Cookies Having Independent Partitioned State): これは、ウェブサイトごとにクッキーを個別の「箱」に仕切り、他のサイトからは中身が見えないようにする技術です。これにより、サイトを横断した追跡が困難になります。
• FedCM (Federated Credential Management API): これは、「Googleでログイン」や「Facebookでログイン」といった機能を、よりプライバシーに配慮した形で標準化する仕組みです。
• Private State Tokens: 不正行為や乱用を減らすための認証ツールとして維持されます。
次の目標は「Google標準」から、業界全体の「ウェブ標準」へ
この大きな失敗を経て、Googleは戦略を大きく転換しました。自社が主導して新しい基準を作るのではなく、今後は業界全体と協力し、よりオープンな「ウェブ標準」の策定に注力する方針です。
具体的には、ウェブ技術の標準化団体であるW3Cの「プライベート広告技術ワーキンググループ(Private Advertising Technology Working Group)」などを通じて、他のブラウザメーカーや関連企業と協力していくとしています。新たな目標は、特定の企業に依存しない「相互運用可能なアトリビューション(効果測定)のウェブ標準」を作ることです。
プライバシーサンドボックス担当VPであるAnthony Chavez氏は、この新しい方向性について次のように述べています。
“we’ll continue to engage on it through the web standards process in collaboration with a wide range of stakeholders including other browser makers.”
Chavez氏が言うように、今後は他のブラウザメーカーを含む幅広い関係者と協力し、ウェブ標準のプロセスを通じてこの課題に取り組むとしています。
A Problem Postponed, Not Solved
Googleが試みたトップダウンでの“解決策の押し付け”は、ウェブのエコシステムが持つ複雑さと抵抗の前に頓挫しました。しかし、問題が先送りされたに過ぎない今、サードパーティクッキーが抱えるプライバシーのリスクは依然として存在し続けています。
一つの巨大テック企業が解決策を押し付けることには失敗しましたが、プライバシーという本質的な課題は残されたままです。Googleができなかったことを、競合他社や業界団体からなる委員会が成し遂げることはできるのでしょうか。オープンなウェブの未来は、その答えにかかっているのかもしれません。

「IMデジタルマーケティングニュース」編集者として、最新のトレンドやテクニックを分かりやすく解説しています。業界の変化に対応し、読者の成功をサポートする記事をお届けしています。
 
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
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